社会福祉法人 あそか会
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あそか会の歴史:あそか会を支えた3人の女性
あそか会年表 創立期 戦前期
戦後期 発展期 あそか会を支えた3人の女性

九條武子夫人

明治20年
(1887)
西本願寺21代宗主大谷光尊(明如上人)の二女として生まれる。生母、藤子は光尊の側室で士族紀州藩松原有積の長女。
明治31年
(1898)12歳
小学校6年の夏休みを境に退学し、以後本願寺教育を受ける。
明治37年
(1904)18歳
仏教婦人会総裁代理として巡教の旅を開始。
明治40年
(1907)21歳
仏教婦人会聯合本部が本山に設置され、本部長となる。
明治42年
(1909)23歳
9月15日九條良致(籌子の弟)と結婚。麹町区(千代田区)三番町の九條良致邸へ移る。12月良致ケンブリッジ大学留学のため、神戸から英国へ夫妻で出発。
明治43年
(1910)24歳
24歳 ヨーロッパで光瑞夫妻と合流。各地を視察して夫を残して帰国。
明治44年
(1911)25歳
1月27日籌子裏方(30歳)急逝。なき義姉にかわり、仏教婦人会の本部長として、その重責を務める。
大正 5年
(1916)30歳
佐佐木信綱の竹柏会に入門。歌誌『心の花』に歌を発表。
大正 9年
(1920)34歳
6月歌集『金鈴』を出版。12月6日10年ぶりに夫帰国する。
大正12年
(1923)37歳
9月1日関東大震災で築地本願寺消失。一時。兄光明宅(青山高樹町)に仮寓。12月に淀橋区(新宿区)下落合に転居。罹災者の救済のため、日比谷公園の救護所、築地本願寺の託児所に奉仕。
大正14年
(1925)39歳
11月帝劇で『洛北の秋』上演。この上演料を診療所に寄付。12月第一回歳末巡回診療を行う。
大正15年
(1926)40歳
孤児救済施設、六華園を創設。12月第二回歳末巡回診療を行う。
昭和 2年
(1927)41歳
7月『無憂華』を出版。9月舞踊曲『四季』を創作。12月第三回歳末巡回診療を行う。
昭和 3年
(1928)42歳
1月27日市村座で『四季』上演。2月7日敗血症のため原宿の磯部病院にて永眠。

田中もと女史

明治16年
(1883)
兵庫健赤穂の町に近い高田村の農村に生まれる。両親は大の真宗信者で、村の西光寺にて法話を聞いて育つ。
明治30年
(1897)15歳
高等小学校を卒業後、神戸に出て、県立病院の見習い看護婦となる。
明治35年
(1902)20歳
医院を開業していた田中文隆氏(30歳)と結婚。田中氏は九州佐賀県の人で、実家は代々鍋島家の御典医で名陶工柿右衛門の宗家とも近い家柄。
明治42年
(1909)27歳
三女たか子誕生。その間に生家の両親、文隆氏の両親も相次いで他界。11月についに夫の文隆氏逝去。
明治43年
(1910)28歳
単身朝鮮に渡り、知人の藤田嗣章氏(朝鮮の軍医長として、総督府病院の院長をしていた)を京城に訪ね、まもなく、晋州慈恵医院の看護婦として赴任。
大正 2年
(1913)31歳
晋州慈恵医院を辞して帰国、神戸で派出看護婦となる。
大正 8年
(1919)37歳
上海に渡り、知人のつてで篠崎病院の看護婦となる。
大正12年
(1923)41歳
関東大震災の悲報が報じられ、上海本願寺の慰問使として東京に派遣される。本願寺は築地本願寺焼け跡と三河島、本所、深川、日比谷に臨時診療所を設け、日比谷班を担当。無料宿泊所、幼稚園も開かれ、一切の世話に多忙。
大正14年
(1925)43歳
3月日比谷公園のバラックは撤退されることになり、診療所は本所、深川方面に復帰するべく、市役所や区役所を訪問。6月本所緑町の区役所跡地に診療所を開所。
大正15年
(1926)44歳
診療所、本所区亀沢町に移転。
昭和 5年
(1930)48歳
11月5日、宿願のあそか病院開設。以後、施設拡張に尽力。
昭和20年
(1945)63歳
3月10日東京大空襲により、病院は施設の大半を消失。職員は一時総辞職となるが、焼け跡の病院に残り、復興を図り、7月病院を再開。以後、復興工事費集めや手続きに奔放。
昭和27年
(1952)70歳
10月藍綬褒章を授与。
昭和28年
(1953)71歳
4〜8月訪米の旅に立ち、各国の仏教会お礼と挨拶にまわる。
昭和39年
(1964)81歳
6月7日老衰のため逝去。

明治26年
(1893)
九條道孝公爵の第七女として東京赤坂に生まれる。姉に節子(明治17年生、後の貞明皇后)、兄に良教(明治17年生、武子夫人の夫)。
明治40年
(1907)15歳
華族女学校を中途退学。京都の大谷家に嫁ぎ、錦花殿で修学後、西本願寺21代光尊三男、大谷光明氏と結婚。
昭和 3年
(1928)36歳
2月武子夫人逝去。病院建設の遺志を継ぐ。
昭和 4年
(1929)37歳
田中もとらとあそか会組織し、会長となる。
昭和 5年
(1930)38歳
11月あそか病院を開設し、その後あそか会財団・社会福祉法人となり、その総裁、理事長を40年にわたって務める。
昭和19年ごろ 東京より京都へ移転。その後、小室、神戸方面などに住む。
昭和36年
(1961)69歳
夫、光明氏逝去。
昭和45年
(1970)78歳
11月あそか病院設立40周年記念式典に京都より上京して列席。12月病院理事長を辞任。総裁に大谷嬉子夫人就任。
昭和49年
(1974)81歳
4月1日京都、西本願寺にて逝去。

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